秋庭史典
(名古屋⼤学⼤学院情報学研究科)
はじめに
わたしが⻑尾⽒の作品をリアルタイムで体験したのは、2000年代のごく限られた時期だけである。そこで本稿では、⽒のいわば「名古屋期」 (2000年代)に焦点を当て、その作品について、⽒のテキストや過去作、また同時代の⽂脈や⽒がオーガナイズした展覧会などと関連づけ、⼿短に考察することとしたい。中⼼となるのは、2004年に名古屋⼤学豊⽥講堂で展⽰された《芸術を探して》と、2007年の《書物の光線》である。
- 名古屋期の背景
1990年代から 2000年代にかけて、⻑尾⽒は愛知県(豊⽥市、名古屋市)で、いくつかの展⽰を⾏っている。背景には、当時名古屋芸術⼤学や名古屋⼤学で教鞭をとり、2000年前後には ISEA2002(電⼦芸術国際会議・名古屋)など名古屋港を拠点としてさまざまなアート活動を⾏っていた茂登⼭清⽂⽒(1951-2022)の存在がある。茂登⼭⽒は、1991年に愛知県豊⽥市六所神社にある農村舞台を会場にした「共感する悪所」展、1996 年ハンガリーでの「topica/⽇本の現代美術が 1100年のハンガリーに挨拶する」展、そして《芸術を探して》が展⽰された 2004年の「COLD_SCHOOL MS004 講義としての芸術」 (名古屋⼤学豊⽥講堂)、さらに 2007年に開設された名古屋⼤学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」第 1 回の展⽰「書物の光線」などで、⻑尾⽒と共同してきた。この時期の作品を⼿がかりに、⻑尾⽒の作品の位置づけを試みたい。まずは《芸術を探して》から⾒ていこう。 - 《芸術を探して》(2004年)
この作品は、総合⼤学のはずの名古屋⼤学に「芸術」が存在しないという問題意識から出発し、図書館内を探索する動画と、そこで⾒つけた「芸術関連書物」を撮影し講堂内のガラス⾯に展⽰した写真という、⼆種の作品から構成されている。写真作品に特徴的なのは、書物の背表紙が透けていることである。厚みや重みを消去された背表紙は、1995年以降急速に進んだデジタル化とインターネット普及による「書物の消滅」論を背景に書物の物質性が希薄化する様相を⽰し、デジタル化時代の知のあり⽅を問いかけていたのである。
この表現は、1990年代後半の⻑尾作品に⾒られる「虚実のあわい」を扱う⼿法と連続している。例えば 1997年の《FAMILY PLOT》では、モニター表⾯の⾛査線やレースといった極薄の⽪膜のあいだを浮き沈みするイメージが提⽰され、それにより⽇常に潜む不確かさや憧れが表現されていた。こうした作品群の背景には、バブル経済とその崩壊、阪神淡路⼤震災や地下鉄サリン事件、NY 同時多発テロなど、さまざまな事件を通した価値観の変容があったと考えられる。 - 《書物の光線》(2007年)
《芸術を探して》が書物をその背表紙を半透明の⽪膜として扱ったのに対し、《書物の光線》では、書物⾃体が光を放つ存在として、再びその厚みを取り戻す。書物と光とは、ヴィーコ『新しい学』の扉絵やゴッホ《聖書のある静物》など、かねてから深い関係にあるが、⻑尾⽒はこの光に、視覚の物理的起源、知識の⽐喩(啓蒙)、憧れの対象、作品が放つ淡い光など複数の意味を持たせることで、電⼦化時代における両者
の関係を問い直している。
そこで書物は、ただ消えゆくものではなく、いまなお知の象徴としてそれを⾒るものに光を放つと同時に、書物がそこから切り離された光の源(⾃然など)へ、憧れにも似た淡い光を投げかけもする、両義的なメディアとして位置づけられているのである。
では、こうした⻑尾⽒の作品は、⽒のどのような哲学に裏づけられているのだろうか。最後にそれを確認しておきたい。 - メディア交通と今⽇的問い
⻑尾⽒は 1980年代から、版画の枠を超えて多様なメディアを⾃由に交通させる⼿法を通じ、同時代のさまざまな問題への応答を試みてきた。⻑尾⽒らが参加した、1987年に始まる「ネオ・グラフィカ」展は、版画を「閉じた技法ではなく、イメージ⽣成の⽅法」として捉え直す試みであったとされる(井上明彦⽒による) 。こうした⽒の考えは、2000年代の活動にも引き継がれていると考えられる。すなわち、《芸術を探して》や《書物の光線》もまた、図書館・書物・写真という複数メディアの交通から、同時代の新たな価値観を照らし出す試みだったのだ。
さらに、⻑尾⽒が企画した展覧会-ISEA2002 での「不死⾝の⾝体」展(2002年)や The Artcomplex Center of Tokyo での「シャングリラ・シャンデリア」展(2007年)-に参加した若⼿作家の作品にも、メディア交通的⼿法と、現れかけては消えてゆくものへの希求が共通して⾒られる。そこに、⻑年展覧会オーガナイザーとして活躍してきた⻑尾⽒の評価軸を⾒て取ることができると思われる。
そしてこの「現れては消え」を繰り返すのが、眠りながら寝返りをうつ、まるで泳いでいるかのように⾒える⼈の姿から垣間⾒える、夢や記憶のイメージであり、それは⻑尾⽒の作品を貫くひとつのライトモチーフとなっているのである。 - おわりに
1991年の農村舞台での《Bedroom̶学習する近代⼈の孤独》《Green Fields Forever》《SIGN OF TIME》が⽰した物質的な知の表現から、2004 年《芸術を探して》の半透明な背表紙、2007年の《書物の光線》での光を放つ書物へと、 「名古屋期」の⻑尾作品は知のありようの変化を映し出してきた。それは、デジタル化による知の希薄化と、それでもなお残る知への憧れに対する⻑尾⽒からの応答である。
以上の考察から、⻑尾⽒の作品は、メディアを通じて「今⽇的な問い」を投げかける、「ネットワークの結び⽬」と位置付けられるのではないか-私には、そう思われるのである。
⽂献
⻑尾浩幸(1995)「別の質に変容する版」 『版画藝術』90, 阿部出版 p.74
⻑尾浩幸(2012)「「Oyoguhito」これまでの主題と表現」 『成安造形⼤学紀要』3, pp.45-51
フーコー, M.(2014) 『知の考古学』 (慎改康之訳)河出書房新社[原著 1969 年]
茂登⼭清⽂(2014)「光と書物、エクリチュール-⻑尾⽒浩幸の四半世紀」⻑尾浩幸編『 「⻑尾浩幸 works 1985-1989」展リーフレット』galerie 16