光と書物、エクリチュール ─長尾浩幸の四半世紀

茂登山清文
(名古屋大学大学院情報科学研究科教授)

『アルベルティ 絵画論』『美の理論』『シュルレアリスム簡約辞典』、『大正期の青春群像』『岡倉天心との出会い』『日本の近代美術』、そして『宮川淳著作集』、『針生一郎評論』。ラベルの貼られた本が、背のタイトルを見せて並ぶ。
《芸術を探して》は、名古屋大学中央図書館に所蔵される、芸術関係の書籍群を背表紙側から撮影した平面作品である。2007年5月、名古屋大学に開設された教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」のこけら落としとなった長尾浩幸の個展「書物の光線」に出品された。他に、その図書館の閲覧室を迷路を進むかのように歩き続ける女性を後から撮影した映像も展示された。
その2年半ほど前、2004年10月に同じく名古屋大学の豊田講堂を会場として開催された「COLD_SCHOOL MS004:[講義としての芸術]」で、ほぼ同様の作品が制作、設置されている。こちらはサイトスペシフィックな作品で、槇文彦の設計で、1960年に竣工した講堂の開口ガラス面に、長尾は書籍の背表紙の写真をポジに出力し貼った。この国の総合大学では、美学・美術史を除いて、芸術教育はほぼおこなわれていないという状況のなか、「総合」から排除された芸術を探した長尾は、図書館の蔵書へとたどりついたのである。
「アートとレクチャーの10日間」と副題が付けられたこのプログラムでは、ロビーで様々なバックボーンをもつ研究者が、芸術をテーマに連日、講演をおこなっている。講堂とは、そもそも仏教寺院の一角をなす、教典を講じる堂である。一般には、金堂の背後,回廊上ないしはその外に建てられる。仏舎利を奉ずる塔、あるいは仏像を安置する金堂とが、物神性と視覚性によって伽藍の中心に位置していたのに対して、講堂は、当初よりその外部に、言わばメタ的に存在する。今日、大学には像はなく、講堂が時に塔をいただきながら、その中心を占めている。長尾の作品の主題は、本というメディアにある。「芸術」と「芸術についての本」、それらは互いに関係をもちつつも,金堂と講堂のように、異なった位相にある。大学における芸術の不在を露わにしつつ、メディアとしての本が、人々の手に触れて歴史を刻んできた、その有り様を提示したと言えようか。そして書物は、芸術作品として講堂へと送り返されたのである。

さらに十年余り、さかのぼる。1991年11月、長尾は、豊田市東部から北部に点在する農村舞台を会場とした展覧会「共感する悪所」に参加した。
農村舞台は、近世の農村文化のひとつの頂点ともいわれる農村歌舞伎の場として、文化文政期に多く建てられた。それらは、神社の境内や鎮守の森に、それを隠れみのにするように建てられている。農民のエネルギーと創造力は、為政権力をしたたかに欺きながら、発露した。そのなかで結成された歌舞伎一座は、村々をまわることで、農村間にネットワークを形成していたとも言われる。
六所神社の農村舞台で長尾は、企画者である私がカップリングした豊田のアーティストと共同制作をおこなった。作品はくらしの場としての家と、表現の場としての舞台とを交差するものとして構想される。そのひとつは《Bedroom ─ 学習する近代人の孤独》と題され、平積みされた本の上に、木製のベッドが危ういバランスで置かれた。近代の知を表象する書物と、ベッドという休息の場での読書、そんな習慣が、実のところ不安定で矛盾をかかえたものであると暗示しているようであった。《SIGN OF TIME》は、真鍮の薄い箱を螺旋を描くように並べた作品である。それらは小さな取っ手がついた引き出しなのだが、一番外側のひとつだけが上を向いていて、内側に貼ったグラフィックを見ることができる。それ以外は、裏返されていて、ひとつずつに「MEMORY」「AGE」「BODY」「DREAM」「FEAR」といった文字がふられている。見る者は言葉を読みながら、自分の過去をしまった引き出しを開ける、辞書のページを繰るように、である。

これら二つの作品のほぼ中間、1996年夏にハンガリー、エステルゴムの王宮博物館とケストヘイのフェシュテティッチ宮殿を巡回した展覧会「topica」で、長尾は日本の集合住宅をモチーフに作品を発表した。素材となったのは、アニメの一場面と不動産の広告チラシだが、折しもジャパニメーションと呼ばれた商業アニメが世界で注目を集め始め、また国内では何度目かのバブルが崩壊し不動産が低価格化した時期であった。
アニメから選ばれた場面のなかには、窓の灯やカーテンの隙間からもれる光が見られる。キャンバス地の布に、印画紙を密着させてつくった支持体は、厚みがあって、パネルから柔らかに膨らんでいる。イメージは、シーンを加工してから再びモニターに映し、それを撮影したという。小さな作品が、不思議な存在感を放つのは、こうした手順と、素材もふくめた媒体の選択ゆえなのだろう。
「書物の光線」について、秋庭史典は、知と美の間には、かつて神の光を仲立ちとして密接な関係があったと言う。しかし光が人間理性のそれとなり、知が書物に記録されるようになると,美は切り離されていく。そして長尾がこの作品でレーザー光を使うラムダプリントで制作していることに注目し、今日、知と芸術の関係のありようを問うていると論じた。《芸術を探して》は、文字通り、見る者にむけて光を放つ、繊細なマチエールをもっていた。光と書物あるいは紙メディアは、この時期の長尾の作品に繰り返し登場する。

ここまでふれた長尾の作品が制作された時代は、ジャン・ボードリヤールが「トランス・エステティック」(1990)から、「ひとりよがりの……現代アート」(2004)へと至る、一連の美術批判を書いた時期と重なる。なかでも1996年に『リベラシオン』に掲載された「芸術の陰謀」が、アートシーンに大きな衝撃を与えたことは記憶に新しい。幾つかの論考をまとめた同名の書籍(2005年版)から、シルヴェール・ロトランジェによる序文の結語を引こう。
「アートは、今や、堪え難いまでにほとばしる明晰さに浸かり、生気のない、すべてを消費しつくす幸福感のなかを漂い、眠る夢遊病者のように歩く、まだ死んでこそいないが、ろくに生きることもできずに、それでうまくやっているのだ。」
再展示される80年代の作品を、そうした時代状況を慮りつつ、あらためて見ることも、なにがしかの意味をもつはずだ。1990年9月のギャラリー OH での個展をへて、1992年まで続く、長尾のこの時期の関心事のひとつを、エクリチュールと呼ぶことも可能だろう。指で描くというナイーヴな行為から生まれた造形記号は、丹念な手順をへて組み合わされ、ギャラリーの壁面にひとつの構文を形成する。言語モデルのもつ二重文節とも関連づけられる作品である。それが書物へと移行していったのは、自然なこととも思える。他方、不連続もうかがえる。ここでは、直接的な身体性と形態の具象性、素材の物質性といったことを挙げておくにとどめたい。デュシャンに倣うまでもなく、この四半世紀ほどを経た作品群を見る人たちが、それを発見するはずだからだ。

[参考]
秋庭史典「美と科学的思考」(『名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」アニュアル07/08』所収)、2008
ジャン・ボードリヤール『芸術の陰謀』、塚原 史訳、NTT出版、2011
Sylvère Lotringer、“The Piracy of Art”、茂登山訳、
http://www.difusaocultural.ufrgs.br/adminmalestar/documentos/arquivo/00 the piracy of art.pdf, 2014/05取得(前掲書,塚原による仏訳よりの抄訳参照)
Marcel Duchamp , “Duchamp du signe”, Flammarion, 1975